バブル経済期(1980年代後半)は、日本の株式市場が熱狂に包まれていた時代でした。その中でも「仕手株」と呼ばれる銘柄が投資家の注目を集め、特定の銘柄の株価を大きく動かしていました。
今の株式市場ではすでに死語となっていますが、”仕手株”とは、特定の投資家グループや組織が、意図的に株価を操作することで利益を得ようとする銘柄を指します。彼らは特定の銘柄を買い占め、株価を急騰させた後に売却することで莫大な利益を得ました。その一方で、高値掴みをした個人投資家が大きな損失を抱えることも多く、「仕手株」は常にリスクと隣り合わせでした。
もっとも有名な仕手グループの一つである誠備グループは、1980年代に株投機(仕手筋)を主導し、日本の相場界で「兜町の風雲児」として知られる存在となった集団ですリーダーであった加藤暠(かとう あきら)の指揮のもと、誠備グループは市場で大きな影響力を持ち、多くの注目を集め、株式市場に大きなインパクトを与え続けました。
手掛けたといわれる銘柄である「兼松日産農林」は農林関連の中小企業であり、株価の流動性が低いことから仕手筋に狙われやすい環境にありました。
95年3月の安値389円だった株が個人や証券会社を巻き込み、さらに空売りを誘いそれを踏み上げる形で、翌1996年7月31日には5,310円まで値上がりし、実に13倍以上にもなったのです。
また誠備グループの名前を株式市場に知らしめた仕手戦に「宮地鉄工所」があります。
1979年年末から1980年にかけて、200円台だった同社の株価が急激に上昇、1980年8月下旬のピーク時には2950円の高値を付けた。株価が急騰するにつれ「誠備グループがやっている」という噂が広まり、その後も個別銘柄の値動きに関し誠備グループの影響力を拡大していきました。
様々な銘柄が「誠備グループが手掛けている」という思惑で乱高下し、当グループはバブル時代を象徴する仕手筋となりました。
また、同じく株式市場で名をはせた企業に秀和がありました。秀和はもともとは銀座の商業ビルや「秀和レジデンス」と名付けたマンションを展開する不動産会社です。
保有する不動産は莫大な含み資産となっていったことでそれを担保に株式市場に参入しました。
秀和の手掛けと言われる株式でまず思い出されるものは「東京日産」です。東京日産は店舗用地として都内のいたるところにも土地を持っており、遊休地の含みをネタに買い集めました。「忠実屋」「いなげや」「長崎屋」などの中堅スーパーも秀和銘柄と仕手株式市場を賑わしました。秀和の手掛ける銘柄には含み益が大きい土地を保有する企業が多かった傾向にありました。
その他兜町の風雲児と呼ばれた中江滋樹の「投資ジャーナル」も仕手筋として有名でした。
その時代を今後も思い出していきます。
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